羽生竜王育てた男・八木下征男さん、奇跡の出会い「感謝」

2018年9月18日16時0分  スポーツ報知
  • 無数の名札が掲げられる道場の壁の前に立つ八木下征男さん
  • 小3の頃の羽生善治少年。見つけやすいように母親がかぶせた広島カープの帽子がトレードマークで「恐怖の赤へル」と恐れられた(写真は全て八木下征男さん提供)
  • 棋士になって間もない頃、道場を来訪した羽生。後に7冠制覇、永世7冠など数々の偉業を成し遂げていく
  • 1999年、指導対局で中村太地少年(右)と盤を挟む羽生善治現竜王。2人は後にタイトル戦を3度戦い、昨秋には中村が羽生から王座を奪取した
  • 多忙な中でも毎年1度の指導対局を欠かすことはない羽生竜王。「クラブと出会っていなければ将棋を続けていなかった」

 羽生善治竜王(47)や中村太地王座(30)ら数多くの棋士・女流棋士を輩出した名門「八王子将棋クラブ」(東京都八王子市)が年内限りで閉所され、41年の歴史に幕を閉じる。羽生竜王の「出会っていなければ将棋を続けていませんでした」との言葉に、席主の八木下征男さん(75)は「羽生さんと出会っていなければ、とっくに道場を畳んでいた。奇跡に感謝しています」と語った。

 史上最高の棋士を育てた名伯楽は、大勝負を終えた翌朝の棋士のような顔をしていた。力を尽くした充実感を漂わせ、朗らかに笑う。「もちろん寂しいですけど、長引かせてしまうと未練も残りますからね。今が引き際だと思いました」。誠実で温和な人柄で教え子に慕われた八木下さんらしい言葉だった。

 1977年にオープンし、10人以上の棋士・女流棋士が巣立った名門。八木下さんは、入居するビルが老朽化のため来年1月から改修工事に入ることと、週3回の人工透析を受けている自らの体調を考慮し、年内限りでの閉所を決めた。事前に相談した羽生からは「小さな教室のような形で続けられませんか?」と提案も受けたが、固辞した。「決めたことは守ろうと思いました。年齢もあるし、責任を持ってできないかもしれないと思ったので」。年末の将棋大会を最後に、41年の歴史に終止符を打つ。

 大手電機メーカー社員だった26歳の時、社内の将棋大会で上位に入るという、ささやかな出来事が将来を考え直す契機になった。「仕事が忙しすぎて、自分は何をやっているのだろう、今のままでは潰れてしまうと考えた時、自分の好きな道を選んでみようと思ったんです」。周囲の反対を押し切って退社し、34歳の時にクラブを開所した。「不安はありましたけど、突っ走っていたら…41年の歳月になっていました」

 2年目の夏。母親に背中を押されてドアを開けた恥ずかしがり屋の少年がいた。後の永世7冠、国民栄誉賞受賞者だった。「周りが悪ふざけをしているのを外側からニコニコして見ているような子でした。温和なところは昔も今も変わりません」。当初は初心者同然だったが、素直な心と深い好奇心を持った羽生少年は瞬く間に世代の頂点へと駆け上がっていった。

 八木下さんは今も、出会いの奇跡について考えることがある。「私が道場を始めた頃に羽生さんが八王子に引っ越してきて、ようやく軌道に乗って開催した子供大会の記事をお母さんがタウン情報紙で見て、連れて来てくれた。場所も時間も、本当に奇跡だったと思います」。羽生に憧れて門をたたいた少年たちからは中村王座、阿久津主税八段(36)、増田康宏六段(20)ら多くの棋士も誕生した。

 羽生は閉所に際し「すごく残念です。でも、八木下さんが決められたことなので(決断を)大事にしたいです。(出会っていなければ)将棋を続けていることはなかったと思うので、巡り合わせを感じます」と感謝の言葉を述べた。逆に八木下さんは「みんな羽生さんに憧れて来てくれた。羽生さんがいなければ、とっくに道場を畳んでいました。感謝しています」と語る。

 互いが互いの人生にとって不可欠な存在だった。場所は失われても、出会いの奇跡、共に歩んだ歳月は永遠に輝き続ける。(北野 新太)

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