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津波の語りべ・田畑ヨシさんを悼む「津波が来たらてんでんこ」

2018年3月2日15時0分  スポーツ報知
  • 津波の語りべ・田畑ヨシさん

 昭和三陸津波(1933年)と東日本大震災(2011年)で二度の災害を体験した津波の語りべ、岩手県宮古市田老出身の田畑ヨシさんが2月28日、93歳で亡くなった。紙芝居を使って、子どもたちに津波の恐ろしさを晩年まで伝えてきた方だ。7年前にインタビューをさせて頂き、聞いた話が忘れられない。

 ヨシさんは3姉妹の二女。昭和の津波で生き残った3姉妹は、78年後の3月11日の津波の時も難を逃れた。明治三陸津波(1896年)で生き残った祖父の遺訓が生き続けていたのだ。

 ヨシさんは東日本大震災が起きた3月11日の午前中、薬をもらうために訪れた田老地区唯一の診療所で、医師に津波の怖さを話していた。独り暮らしの自宅に戻り、食事を済ませた後、地面が盛り上がるような揺れを感じた。

 「津波が来る」。預金通帳、印鑑、衣類、非常食などを入れた小さなリュックは用意済み。神棚から落下して散らばった祖父や夫の位牌をかき集めようとしていたところで高台に住む妹のキヌさんが家に飛び込んで来た。

 「何をしてるの。早く逃げねえと。津波が来るからさ」。キヌさんがヨシさんのリュックを奪って走り出した。ヨシさんはそれを追って逃げた。足が悪い姉のマンさんはすでに家族と一緒に常運寺へ避難した。

 高台にあるキヌさんの家には親戚20人以上が詰めかけ、午前中話をしていた医師も避難して来た。高台からは津波が、町をのみ込む様子が見えた。「昭和の時より怖かったと思いますね。(万里の長城と呼ばれる)防潮堤を乗り越えてきましたから」。深夜を襲った津波と違い、昼間だったのが唯一の救いだが、逃げ遅れた人々が犠牲となった。

 3姉妹が田老と離れなかったのは、明治の津波で一族で唯一の生き残りとなった祖父・留之助さんの「故郷を守れ」という遺志があったからだった。そして幼い頃、囲炉裏に座って「津波が来たらてんでんこ(てんでんばらばら)。一人ででも赤沼山へ逃げろ」と口癖のように言っていた教えは昭和でも、平成でも守り抜いた。

 ヨシさんの自宅はすべて流されてしまった。リュックに入れることができなかった位牌は見つからなかった。ヨシさんは「心残りはあるけど命には代えられないから…」。一目散に逃げることが、祖父の教え。そして命は助かった。

 ヨシさんは震災後、青森市にある長男の家に避難していた。震災の2か月後には紙芝居の語りべを再開。「近所どうしの助け合いがあり、浜の恵みを感じられる田老。いつかはまた戻れればと思っています」と話していたのを思い出す。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

(文化社会部・甲斐 毅彦)

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