浦安の漁師たちに“夢の陸地”を約束…東京ディズニーリゾート誕生秘話<3>

2019年1月1日11時2分  スポーツ報知
  • 高さ51メートルのTDLのシンボル、シンデレラ城の尖塔(せんとう)がクレーンで取りつけられた(1982年)(C)Disney
  • 浦安市郷土博物館で再現されている埋め立て前の干潟のジオラマ

 東京ディズニーランド(TDL)は1983年4月15日に開園した。2001年9月4日に開園した東京ディズニーシー(TDS)も含めた東京ディズニーリゾート(TDR)で展開中の「東京ディズニーリゾート35周年“Happiest Celebration!”」は3月25日にグランドフィナーレを迎える。TDRを運営するオリエンタルランド(OLC)の加賀見俊夫会長(82)らの証言で原点を振り返り、“永遠に完成しない”TDRの未来を読む。

 浦安地区を埋め立てるにあたって、千葉県と連携し、地元漁協と漁業権放棄の補償交渉を行ったのがオリエンタルランド(OLC)の高橋政知(当時専務、開園時に社長)だった。工場廃液による海洋汚染が深刻化していた1961年のこと。部下だった現OLC会長の加賀見俊夫(82)は振り返る。

 「漁師さんは仲間意識が強く、気性の荒い方もいる。そんな彼らの心をつかむには、お酒を酌み交わし、腹を割っての交渉が不可欠でした」。加賀見とは対照的に大柄で強面(こわもて)の高橋は、連夜にわたって2つあった漁協の幹部たちを高級料亭に招待し、海の男と同じペースで付き合った。

 「高橋はお酒が強いというだけではなく、どんな人とでも水平な目線で対話することができました」。経理担当だった加賀見は、料亭からの高額請求書の処理に追われたが、高橋の“夜討ち”に同行したことがあり、豪快な中に誠実さがにじむ、その交渉術に敬意を抱いた。失業の不安を抱える漁師たちは、高橋の語る夢に将来を託した。

 千葉県の埋め立て事業は、土地造成費を進出企業(OLC)が負担し、造成した土地を県が企業に分譲することで成立した。これは後に「千葉県方式」として、他県のモデルケースにもなった。OLCでは、この方式に応じるべく、工事業者に埋め立て工事費を立て替えてもらい、造成予定の土地を担保に銀行から融資を受けて工事費に充てた。

 まだ海でしかない幻の土地を担保にするという“絵空事”からのスタート。浦安の漁師たちに“夢の陸地”を約束した高橋の次の交渉相手は、米国のザ・ウォルト・ディズニー・カンパニー(ディズニー社)だった。

 「東洋にディズニーランドを」という野望を抱いていたのは、OLCだけではなかった。ディズニーランドを模倣したともとれる奈良ドリームランドが61年に開業(06年閉園)し、米国では日本への不信感が渦巻く中、「本物」のライセンス契約を求めて誘致合戦が始まった。三菱地所が富士山麓への誘致を計画。74年にOLCとのプレゼン合戦となった。OLCは三井不動産が出資しており、三井VS三菱の図式。“日本のランドマーク”富士山VS何もない浦安の島。観光立地としての差は歴然だったが、ディズニーの魔法は、富士山を必要とはしなかった。更地だからこそ、夢は無限に広がる結果となった。

 千葉県からOLCに遊園地用地約211万平方メートルの分譲が完了したのは77年12月31日。そして、79年4月30日(日本時間5月1日)にOLCとディズニー社の契約が成立し、いよいよ“ミッキーマウスが来日”することになった。

=<4>につづく、敬称略=(酒井隆之)

 ◆郷土博物館で元漁師町体感 浦安が人情味あふれる漁師町であったことを再現しているのが、浦安市郷土博物館(浦安市猫実1の2の7、TEL047・305・4300)だ。屋外展示場「浦安のまち」は昭和27年ごろの浦安を体感できる。千葉県指定有形文化財の三軒長屋、貝がら道に船宿、川がありベカ船(ノリ採り用の小型木造船)にも乗れる。テーマ展示室には、埋め立て前の干潟のジオラマや刺し網などの漁具、水槽にはマハゼ、ウナギ、カレイなど今も浦安沖に生息する魚が泳いでいる。ビデオライブラリーや浦安弁ガイド、カフェレストランもある。

 

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