フツーのおばちゃんから芥川賞作家になった若竹千佐子さん「才能じゃなく、経験値」山あり谷あり63年

2018年2月20日12時0分  スポーツ報知
  • 著書を手に笑顔を見せる若竹千佐子さん

 今年1月に芥川賞を受賞した「おらおらでひとりいぐも」(河出書房新社、1296円)。著者の若竹千佐子さん(63)は、昨年11月に同作でデビューし、世に出てわずか3か月で純文学の最高峰にまで上り詰めた。初版7000部の発行部数は今や50万部。絵に描いたようなシンデレラストーリーだが、この成功はとてつもない悲しみを土台に築かれたものでもあった。(樋口 智城)

 還暦を過ぎて発表したデビュー作で芥川賞受賞、そんな離れ業を演じる作家は一体どんな人柄なのか。意気込む記者の前に現れたのは、いい意味でこちらの期待を裏切るフツーの明るい女性だった。

 「この年になってこんな賞…。ハア、もう夢のようで。今回は私というより周囲みんな盛り上がって、期待を背負ってたからホッとしましたよ~。フフフ」

 子供の頃から作家に憧れていた。プロになる夢を持って小説を書いてはいたが、出版社に投稿するなど具体的な行動は起こさなかった。

 「賞といえば30年ほど前、岩手の地方の文芸賞に応募して優秀賞取ったぐらいですかね。賞金は1万円。当時1歳だった息子を親に預けて主人と高い定食食べに行っておしまい。当時から『小説家でご飯食べさせてあげるから』って約束していたんですが、果たせたのはその時だけでした。以降は、書くことは書いていたがどこかに投稿するでもなく…。普通の主婦してました」

 なのにどうして60歳を超えてデビューし、芥川賞受賞にまで至ったのか。きっかけは人生最大の悲劇。09年に夫・和美さんが57歳で急死したことだった。

 「脳梗塞である日突然…。山好きで、直前に各所に予約も取っていたくらいですから、本当に前触れなんてなかったんですよ。それまで病気らしい病気をしたこともなかったのに」

 若竹さんは当時55歳。30年近く連れ添った夫が唐突にいなくなった事実に絶望し、自宅に閉じこもった。

 「がんとか闘病が長い人と別れるのは本当につらいとは思うんですが、覚悟はできるかも知れない。でも私の場合は…。何とも表現しづらい感情でしたね。それまでは90歳くらいまで一緒にいるんだろうなと漠然と思っていましたから」

 転機は、長男の言葉だった。四十九日法要が終わったとき、憔悴(しょうすい)しきっていた若竹さんの姿を見るに見かねて声を掛けた。「閉じこもってちゃダメだ、外に出ろ!」―。

 「そのときに『あんなに小説家になりたいって言ってたんだから、小説講座に通ったらいいじゃないか』って勧めてくれたんです。その後、息子が小説講座も勝手に見つけてきて。言われるまま、通うようになりました」

 息子の母への思いが、その後の人生を変えた。

 「その講座は、小説を書いて、生徒20~30人ぐらいで批評し合うシステム。自分の中だけで小説書いてただけの私にとっては、作品を見てくれるだけで励みでした。褒められて喜んでねぇ。それで、半期にいっぺんくらい作品を持って行きましたかね」

 絶望の日々から、希望の日常へ。すると自身にもいろいろと思いを巡らす余裕ができた。亡き夫について、何回も自問自答。自己分析を重ねていった。

 「自分探索とでも言うんですかね。連続して問い返しているうちに、ある日ふと思ったんです。ああ、主人が亡くなったことで残ったのは悲しみだけじゃないんだって。『実は喜んでいる自分もいる』という感情を、タブー視せずに認めてやろうと思ったんですよ。つまり『主人は私に、1人でいるための時間をプレゼントしてくれたんだ、うれしい』って心境に至ったんですね」

 そう思うと、1人でいる状況をムダにすることはできないと感じた。2014年末から「おらおらでひとりいぐも」を執筆開始。「自分は自分で、1人で生きていけるよ」。老年の前向きな心境は、自分自身を客観視できるようになったから書くことができた。納得の手応えがあった。17年に同作で第54回文藝賞に投稿すると同賞を受賞し、そのまま11月にデビュー。18年1月に芥川賞をゲットした。全てが変わるのはあっという間だった。

 「小説書くおばちゃんというのは、人生経験をあーだ、こーだ転がして、いろいろな気づきを書く。才能じゃなく、経験値で書いているんですよ。この小説に費やしたのは2年ぐらいですが、私の63年の人生を経てできあがったもの。遅咲きかも知れませんが、『人間とは何か』を書くためには、これだけの歳月が必要だったということなんですよ」

 大学卒業後、臨時教員として働きながら教員試験を受けるも失敗。挫折を味わう中、28歳のときに初めてのお見合いで相手と意気投合し、2週間ほどで結婚を決意した。山あり谷あり63年。そして今は…。

 「小説を書いているとき、ふと感じることがあるんですよ。主人がどこかで見守って、応援してくれているなあって」

 ◆若竹 千佐子(わかたけ・ちさこ)1954年、岩手県遠野市生まれ。63歳。1977年、岩手大学教育学部卒業。臨時採用教員として働いたあと、1982年に夫・和美さんと結婚。自営業を営む夫の仕事の都合で30歳のときに岩手から関東へ移住。17年に「おらおらでひとりいぐも」で第54回文藝賞を受賞。18年1月、同作で芥川賞を受賞した。家族は長男(34)、長女(29)。5月に初孫が誕生予定。

 ◆「おらおらでひとりいぐも」 74歳、一人暮らしの桃子さん。捨てた故郷、疎遠になった息子と娘、亡き夫への愛。悲しみの果てに、桃子さんがたどり着いたものとは―。東北弁を交えたリズム感あふれる文体で、老年の前向きな心境をつづる。題名は、宮沢賢治の詩「永訣の朝」のフレーズから。

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