芥川賞作家兼IT企業役員「ニムロッド」上田岳弘さん 兼業で執筆する意味を語る

2019年2月9日12時0分  スポーツ報知
  • 3度目のノミネートで芥川賞受賞となった上田岳弘さん

 仮想通貨を題材に、人類の未来を哲学的に描いた「ニムロッド」(講談社、1500円)で第160回芥川賞を受賞した作家・上田岳弘さん(39)は、IT企業の役員という「別の顔」を持つ。純文学作家としては珍しいとも言える「兼業」。2月下旬の授賞式を前に、あえて企業の仕事と並行して執筆する意味、そして作品に与える影響などを聞いた。

 「ニムロッド」は、情報化された社会を個人はどう生きるかを問う、かなり哲学的な内容。著者もさぞかし気難しい人間か…と思いきや、良い意味で裏切られた。いたずらっぽい笑みと闊達(かったつ)なおしゃべりが印象的。友人も多いんだろうなと思わせる魅力があった。

 「デビュー5年ちょっとなんですが、このタイミングで賞をいただけたのは良かったのかなと。受賞後の状況も、芥川賞取った友人とかにも『この番組から絶対オファー来るよ』とかワンサカ聞いてたので、もうシミュレーション通り。あーこれがうわさで聞いてた忙しさかーって」

 上田さんは作家とは別に「IT企業の役員」としての顔を持つ。アライアンス(他企業との提携)や営業などの業務をこなしながら執筆している。

 「一つのことやるために一つを捨てるのは得意じゃない。もったいない気がするんですよねぇ。小学校で夢を語らされた時も『二足のわらじを履きたいです』って答えていました」

 社会の変化も、兼業を可能にした一因。

 「今は副業OKな会社、増えてますよ。ウチはないですけど、きちんと副業を制度化しているIT企業もある。あらゆる垣根、分野の壁は低くなっているのが現代社会とすれば、兼業も自然の流れなんじゃないですかね」

 現在勤務する会社に入ったのは「縁」だった。

 「大学卒業後、今の会社の設立準備段階の頃に、ちょいちょい遊びに行ってたんですよ。社長が友人だったので。その後1~2年ほど職に就かずに小説書いていたんですが、イマイチうまくいかなくて」

 いったん筆を休ませたことで、社長と連絡を取った。

 「電話で『飲みに行こうか』って誘ったら『会社を立ち上げたから今から来てくれ』って言われて。いずれ小説を書く、というのを条件に入社したんですよ」

 入社後5~6年は忙しく、毎日終電で帰る日々。30歳を過ぎた2011年から執筆を再開、投稿を始めた。13年に「太陽」で新潮新人賞を受賞しデビュー。15年に「私の恋人」で三島由紀夫賞受賞。順調に作品を発表し続けているが、仕事との両立はやはり苦労があった。

 「早朝に書いて出勤なんですが、一番重要なのはメンタル。兼業って、もう心が折れるかどうかなんですよね。デビュー当時は常にキレてました。酔っ払っては大暴れ、周囲からは危険人物扱いでしたよ。『ニムロッド』執筆中は他の長編も書いていたんで、早死にするんじゃないかというくらいの地獄。さすがに1週間休んで初稿書いたんですが、体重2キロ減りました」

 苦しくてもIT企業の仕事は続けるつもり。

 「業務で得るのは経験。どう物が売れていくのか分かりますから。『こういう書き方しないと稟議(りんぎ)決裁通らないから、こう提案にしよう』といった機微は、働かないと理解できないし、そこに悲喜こもごもが存在する。小説にとても役に立っているんですよ」

 新たな試みも行っている。17年、長編小説「キュー」を、雑誌「新潮」と「ヤフージャパン」のスマートフォン向けサイトで同時連載。紙とネット媒体で並行させる前代未聞の試みは、自身発案のプロジェクトだった。

 「文芸誌は1万部も刷らないんですが、あれはケタ違いなアクセスがあって。しかも『キュー』の発表号の雑誌、普段より1割多めに売れたらしいです。話題創作によって本自体の売り上げもアップするという実験結果でもあるんですよ」

 「ニムロッド」の仮想通貨のアイデアや、文学に対する新たなアプローチ。IT企業と並行しているからこそ、実現できたものなのかも知れない。

 ◆ニムロッド 仮想通貨をネットで「採掘」する「僕」中本哲史。中絶と離婚のトラウマを抱えた外資系証券会社勤務の恋人・田久保紀子。小説家への夢に挫折、主人公に「だめな飛行機コレクション」をメールで送り続ける同僚・ニムロッドこと荷室仁。3人の人間模様を交えながら、あらゆるものが情報化する社会での生き方や人間の終末を暗示する新時代の仮想通貨小説。

 ◆上田 岳弘(うえだ・たかひろ)1979年2月26日、兵庫県明石市生まれ。39歳。早大法学部卒業後、2004年に法人向けITメーカーの立ち上げに参加し、その後役員に就任。13年、「太陽」で第45回新潮新人賞を受賞しデビュー。15年、ピース・又吉直樹の「火花」との決選投票の末、「私の恋人」で三島由紀夫賞受賞。19年「ニムロッド」で芥川賞を受賞した。

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