【中日】浅尾「監督に告げたら気が抜けて体中が痛い」…引退会見全文(3)

スポーツ報知
清々しい表情で引退会見を行った中日・浅尾

 ―なぜ悔いがないのか。

 「どこに(理由が)あるんですかね(笑い)。分かんないですが、実際、監督に引退を告げてから、そこからホントに、気が抜けたように体中が痛くなりました。29日に(引退)試合をさせていただくんですが、相手側(阪神)のCS(争い)の都合もある。適当な投球はできない。引退するってなったときに、気持ちが抜けてダメになった部分もあったので、(当日までに)盛り返したい」

 ―あとで後悔が押し寄せることは。

 「たぶんないです。ここ1、2年の悩みじゃないですし。大丈夫です」

 ―心に残る1球、対戦は。

 「たくさんありすぎてアレなんですが、自分の中で一番いい球だったなというのは、うまく伝えられないかもしれませんが、ナゴヤドームの巨人戦。高橋由伸さんに最後に投げたインハイのストレート。グラブを注意されたその後、1球で決められた。その1球が頭に残っています。(球速は?)確か156キロだった気がするんですが、そんな速くない気もするので、分からないです(笑い)」

 【注釈】2010年7月10日。6―1の7回2死一、二塁で、巨人・原監督が球審に、浅尾のグラブのひもがほどけ、接合部分の金具が揺れて打者の目障りになっていると注文をつけた。それを受けて球審から注意を受けた浅尾だが、直後の直球で見逃し三振に仕留めた。

 ―自主トレなどで世話になっている元ソフトバンクの馬原孝浩氏に連絡したのか。

 「もちろん連絡させていただいた。『お疲れさま。悔しいけど、タク(浅尾)が決めたことならしょうがないね』と言ってもらいました」

 ―10、11年の登板過多がその後に影響したのか。

 「何度も言っていると思いますが、試合数だけ見るとそうかもしれない。でも自分の中では、信用して使ってもらえることが一番幸せ。キツイときは休ませてももらった。気持ちが前に出て勝負できたことに感謝しています。それがけがにつながったと思ってないですし、自分がけがをしなければ、そういうことを言われなかった。それもあっての、こういう引退会見(に至る活躍)につながっていると思いますし、僕は感謝しかしてないです」

 ―後輩に伝えたいことは。

 「野球観が各選手で違う。自分のいいことは続ければいいし、それを僕が押しつけることじゃない。ただ、ケアはしっかりやっていかないといけないと思う。かと言って慎重になりすぎてもいけない。頑張らないといけないときもある。プロ野球選手として無理しなきゃいけないこともある。そうじゃなきゃ活躍できないよ、と伝えていきたい」

 ―ユニホームを脱いで最初にやりたいことは。

 「やりたいこと…。小学生のころからずっと運動してきて、辞めたときにどう思うかは(まだ)分からない。とりあえず、ちょっとだけゆっくりしたいかなと思いますね」

 ―引退の決意を最初に伝えたのは森監督か。

 「もちろん、森さんが初めて。まだ引退すると決めてないのに、他の人に適当なことは言えない。森さんに話そうと思ってました」

 ―チームメートでは誰に最初に告げたのか。

 「選手ですか。完全に辞めると決まった時ですか。誰ですかね。吉見…かな。自分も吉見も同じような苦しみを味わっている。吉見がいたから頑張れたというのはある。同じように上がっていって、同じように落ちていった。ヨシが苦しい時に話をして、自分が苦しい時も話をした。一番近くでお互いが。たくさん話す訳じゃないんですが『頑張ってるな。自分も頑張らないと』と。そういう思いで吉見には話をしたかな。多分、吉見です。あと、岩瀬さん」

 ―吉見の反応は。

 「『あ、そうなん』って(笑い)。その前から(やんわりと)自分の気持ちを話していたので。そういう風になったよ、って言ったときに『あ、そうなん。そっか。お疲れさん』というのはありました」

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