【中日】浅尾「FA権なく、出るきっかけなかった(笑い)」…引退会見全文(2) 

2018年9月26日18時24分  スポーツ報知
  • 清々しい表情で引退会見を行った中日・浅尾

 ―地元出身で中日ひと筋。

 「ずっと愛知県で育ってきて、愛知県で終われるのは幸せなこと。FA権も取れていないので、出るきっかけもなかったので(笑い)。これで良かったのかなと思います」

 ―ファンへのメッセージを。

 「ホントにたくさんの声援をいただいていたというのは、球場に来たら分かりました。自分がけがをしたのが悪いんですが“復帰登板”まで待って応援してくれたり。ファンの方の手紙を読んだら『活躍に励まされます』と書いてあって、逆に自分が励まされたり。自分なんかを応援してくれてありがとうと伝えたいです」

 ―最後のマウンドは。

 「29日に引退試合をさせていただくということなので、多分(投球するのは)1人くらいになると思います。今までやってきたことを、今出せる全力でやっていきたい」

 ―奥様の反応は。

 「『あっ、そっか』っていうくらいです(笑い)」

 ―引退を告げた人々の反応は。

 「自分が限界を感じていたように、一番投げていたときと比べれば、周りの方も(自分と)同じ(限界なのではという)目線で見ていたと思う。『お疲れさま』もありましたし『え~っ!』もありました。でも最終的に『自分で決めたことなので応援する』と言ってくれたり。温かい方に恵まれました」

 ―今後の予定は。

 「ホント、何も決まってないですし、今後の人生は、あと半分くらいはあると思うので、ゆっくり考えたいです」

 ―ここまでの野球人生を振り返って。

 「小学生の頃からプロ野球選手になりたいと、(文集に)半分夢みたいに書いていたのが、大学生になって現実に近づき、プロになって10年以上できたのは、自分の中で奇跡だと思う。幼いときから一緒に過ごしてきた友人、家族も同じくらいビックリしている。プロ野球選手になって良かった。プロ野球選手になったからこそ出会えた人もいる。ドラゴンズはホントに好きですし、これからも応援したいと思います」

 ―キャリア後半の苦しみは今後の人生に生きるか。

 「忍耐力だったり我慢といったらおかしいんですが、ここ1年で自分の気持ちをコントロールできるようになった、というのはあります。今後どう生かせるのか、仕事の内容にもよりますが、人間的に我慢強くなれたと感じます。生かすというより、感じたことをいろんな人に伝えていきたい。自分の中で教訓にしたいと思います」

 ―野球選手として一番脂が乗った時期はいつだったか。

 「自分の中ではMVPを取らしていただいた年(2011年)より、その前日…じゃない、前年(10年)が一番調子が良かったと思います。一番つらかった時期は、やっぱり1軍登板ゼロのとき(16年)。この時は、ちょっといろいろ困ってましたね、はい(笑い)」

 ―2010年当時のボールを取り戻して、再現しようと取り組んだのか。

 「スピードが140キロ台中盤くらいになってきたときから、スタイルを変えていこうと取り組みました。でも、中継ぎで右投げで普通の投げ方で、140キロ台前半だと、見られてしまう。それでスピードを出そうとして、ちょっと焦っちゃった(故障した)というのもあります。それを覆したいと、結果にこだわった部分もある。取り戻したいというより、自分の中で新しいスタイルを探してやってきたつもりです」

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