映画「おーい、応為」10・18公開記念舞台挨拶(完全版)~永瀬正敏&大森立嗣監督 in TOHOシネマズ錦糸町 楽天地

2025年10月24日10時00分 スポーツ報知

 江戸時代を代表する浮世絵師・葛飾北斎の弟子で娘の葛飾応為(おうい)を描いた映画『おーい、応為』の公開記念舞台挨拶が10月18日、TOHOシネマズ錦糸町 楽天地で行われ、北斎役の俳優・永瀬正敏(59)と大森立嗣監督(55)が登場! 90年の生涯のほとんどを過ごした北斎ゆかりの地での記念イベントは、永瀬や大森監督らの希望で実現。舞台挨拶前にはすみだ北斎美術館を訪れ、応為の作品などを鑑賞した永瀬は「墨田区、やばいですね。すごい美術館を持っていらっしゃる」と話し、壇上トークでも秘話が次々と。単独潜入取材した「すみだ報知」が号外スクープとして、その完全版を公開!

公開記念舞台挨拶を行った葛飾北斎役の永瀬正敏㊧と大森立嗣監督(TOHOシネマズ錦糸町 楽天地で) 公開記念舞台挨拶を行った葛飾北斎役の永瀬正敏㊧と大森立嗣監督(TOHOシネマズ錦糸町 楽天地で=カメラ・佐々木 良機)
『おーい、応為』公開記念舞台挨拶
2025年10月18日(土)in TOHOシネマズ錦糸町 楽天地
 

─葛飾北斎が生まれ育ち、90歳の生涯のほとんどを住んでいた馴染み深い墨田区で、ぜひ舞台挨拶をさせていただければと、制作陣、スタッフの思いがあって、この日の舞台挨拶の運びとなりました。本作に込められた思いや、映画撮影中のエピソードなどを、出演の永瀬正敏さんや大森監督にいろいろお話を伺いたいと思います。それでは、永瀬さん、大森監督のご登場です。
 
永瀬 天才浮世絵師、葛飾北斎さんを演じさせていただいて、とても光栄でした。永瀬です。
 
大森監督 昨日公開になって、やっと始まって本当嬉しい。皆さんに感謝しかなくて、全国でこの映画を見てくださっている方もいっぱいいると思うので、その方たちにも本当にありがとうございますとお伝えしたい。
 
─公開を迎えての反響や感想は。
 
永瀬 (携帯電話を取り出して、手にしながら)届いていますね。SNSにいろいろ書き込みをしていただいていて、必ず読むようにしているんですけど、嬉しい意見がいっぱいありました。北斎さんがあと5年、10年生きている場合でも、もっとうまく書けたのにっていう意見や、もしかしたら応為の存在もあったのかなっていう意見だったりとか。改めて気づかされることが多いですね。…何のため携帯出したんだろうね(苦笑)。めっちゃ(皆さんの感想を)見ているよってことで。
 
─ちゃんと永瀬さんのもとに皆さんの感想は届いていますので、ぜひインスタ等に書き込みをしていただければ。
 
永瀬 そうですね。
 
監督 友達からメールとか来たりしますけど、友達は基本的に褒めてくれるので。それ以外はSNSで見るんですけど、いろんな意見があるから、正直に傷ついたり嬉しかったり、一喜一憂があるのでちょっと疲れますね、この数日間は(苦笑)
 
─見ている人が江戸時代のストーリーに入り込めるような作品で、そういう感想もすごく多い。ちょっと薄暗いなと感じられたところは、江戸時代は実際にあのぐらいの明るさで生活していたということで、ろうそくで撮影したりもされたとか。
 
監督 そうなんですよ。夜のシーンは、ろうそくの光だけで撮影をしていたりして。永瀬さんが絵を描く時は、裸の女性が出てくるシーンなんかでは見えるような場所にろうそくを動かして絵を描くふりをしながら動かしたりとかしている。ろうそくの火の大きさ、ろうそくも行灯と使い分けているんですけど、そこらへんは今の撮影カメラの性能もすごくて、実際に目で見ているよりもカメラの方が明るかったりするので、工夫しながらやっていました。
 
永瀬 すごいこだわりを皆さん持たれて、すごいリサーチをされて。すごくリアルなものを、例えば金平糖1つとっても、これは不浄物が入っているからと。もともとは現代のものなんで、より江戸時代に近いものを用意しました、とか言ってましたね。
 
監督 歯ブラシも。
 
永瀬 これ本当にこれ使っていたんだっていう。
 
監督 毛がすごい抜けて。撮影終わったら、だから(歯から毛を)抜いていましたよね。
 
永瀬 いろいろリサーチがすごかったですね。今回は。
 
─汚い貧乏長屋のシーンとかも現場はあのままで、実際に干物とかも本当に吊るされていて結構臭いとかも。
 
永瀬 僕は、ここに長澤まさみさんがいらっしゃるのかというのが最初心配でしたね。それぐらいリアリティがね。偽物を吊るしたりとかするものですけど、本当にリアルな干物で、臭いがいい具合に漂ってきますし、それで足の踏み場もないような汚しをいろいろいっぱいやっていただいたんですけど、それもすごくリアルを追求したやつで。応為と生活しながら後半いろいろ移動していくと、徐々に徐々に綺麗になっていったりとか、そこのグラデーションもすごかったですし。臭いはもうちょっと映画が進歩すればいいなと思いますね。皆さんにお届けしたいぐらいのところでやっていましたけど。でも、だからお二人ともあのリアリティを持ってやっていたと思いますけどね。
 
─墨田区ならではの質問もしたいと思います。この舞台挨拶の前にすみだ北斎美術館に行かれて、北斎の作品とか展示とか、そして公開されている応為の作品などをご覧になられたかと。応為の作品の公開は60年ぶりで、美術館での公開は初めてとか。
 
永瀬 いや、素晴らしかったですね。もう応為さんの…初公開になるんですか。あれを見て、僕はやっぱりちょっと愛おしかったです。なんか愛おしくなってしまいましたけど、いろんな方のね、門下生の方だったりとか、違う方だったりの作品をいっぱい見させていただきましたけど、どうしてもひいき目で、北斎門下生の人たちの細やかさだったりとか、濃淡の付け方だったりとか、それがやっぱりすごいなと思って。さっき監督ともお話したんですけど、全く費用対効果に合ってなかっただろうなっていう。ただ、それだけちゃんと「描け描け」って、たぶん北斎は言っていたんだろうなっていうようなものがちゃんと分かる展示だったりしたので。いや、墨田区、やばいですね。すごい美術館を持っていらっしゃいますね。
 
─北斎は90回ぐらい引っ越しされているんですけど、ほとんど墨田区だったという話です。
 
永瀬 そうですね。
 
監督 北斎門下生たちの作品もあったりして。魚谷北渓や渓斎栄泉の作品なんかもあったんですけど、やっぱりそこにはきっと物語があるんだろうなっていうことを思ってしまって。どういうふうに伝えたのか分からないんですけれども、やっぱり北斎っていう人にはいろんな物語があるので、こうやって映画が作られていくっていうのが分かる感じがしました。今、作り終わってみると、そっちに引っ張られていないこの映画はちょっと変わった映画だなっていうふうに、ちょっと見ながらね。絵を描いて、成功ストーリーみたいなのをやりたくなる感じもあるんですけど、そこはグッとこらえて、汚い長屋の親子の話に終始したっていうのは、我ながらよくやったなっていうふうにちょっと思ったりします(苦笑)
 
永瀬 いや、本当そうです。監督は、手元の吹き替えなんか撮るんだったら、絵なんか撮らないとおっしゃっていました。
 
監督 生意気にそんなこんなこと言って…。
 
永瀬 こっちは必死です。
 
監督 もう、すみません。撮影終わっても永瀬さんと長澤さんと(高橋)海斗君は、プレハブの中でずーっと練習して、僕が帰る時に、撮影が終わってスーッと覗いたらまだ練習しているんですよ。だからスーッと閉めて、僕、先に帰っていました(笑)
 
永瀬 それなんかも無言でしたからね。3人とも。
 
監督 そうなんです。下を向いて描いているんですよ。
 
永瀬 ずっと、それぞれのやつを描いていましたね。
 
─高橋さんがその様子を部活みたいだったと。
 
永瀬 確かにある意味、部活みたいだったですね。
 
─応為の作品は2つ展示されていて、1つは60年ぶりの「蝶々二美人図」。もう1つは「女重宝記」という江戸時代の女性のマナー本みたいものが展示されていて、おそばの食べ方とかを図で表しているものになっている。
 
永瀬 すみだ北斎美術館に行くのは2回目だったんですけど、クランクイン前と今回と、あと何回か行きたいですね。はい。
 
─永瀬さんが応為の絵を見る時は、もうお父さんのような目でご覧になっている。
 
永瀬 愛おしくなっちゃっちゃいましたね。あと、北斎さんの絵を見ている時は、線をずっと追っている自分がいて、こんなにやっぱり描けない、やっぱり天才だなと思いながら。 まあ、そういうふうにさせちゃった人は監督なんですけど(苦笑)。いや、素晴らしかったですね。
 
監督 応為がそうめんの食べ方とか書いていたじゃないですか。やっぱり応為っていうのはすごい女性の代表のような礼儀正しい人だったんですかね。ちょっと分かんなくて。
 
永瀬 いろんな資料を読むと、がらっぱちで男まさりという感じ、輩(やから)というか。当時で言うと、ちょっと異質というか、かっこいい。自分を持っているかっこいい女性だっていうことだったんですけど、長野の小布施の北斎館に行かせてもらった時に、書状が二つ置いてあって、あのお栄さん、応為が書いた一つは「栗を送ってくれてありがとうございます」っていう御礼状で、 もう一つは絵の具の作り方を細かく図入りで書いていらっしゃったんですよ。だから案外、ちゃんとそうなんです、ちゃんとしていらっしゃるんだと思いました。
 
監督 やっぱり北斎がどこか変人すぎて、私までおかしくなったら、この家、どうなるかは、俺、分かるでしょう。自分の父親(俳優、舞踏家、演出家・麿赤兒)を見ていると、ちょっとやばい感じでして(苦笑)。
 
永瀬 やばくないです。
 
監督 ちょっとやばいですよ。昔、唐揚げを食べて、手で掴んで食べるんですけど、その手についた油を顔に塗るんですよ、ちょうどいいやって言いながら。
 
永瀬 いや、僕ね、思うんですけど、この映画は大森監督しか撮れないと思うんですよ。僕なんか凡人はちょっと分からない天才が何人も一つの家の中にいるっていうのは、やっぱり大森監督しか撮れない。お父さん(麿赤兒)は、あのマドンナが会いに来る人ですよ。
 
監督 そうなんですよ。マドンナがうちの親父の踊りが見たいって言って、昨年の年末ですよ。
 
永瀬 ほんとすごい。世界的にもちゃんと映画監督として活躍されているし、弟さんはね、素晴らしい俳優さん(大森南朋)だし、音楽もやっているしっていう、芸術一家なので、引き算と足し算がすごい多分的確なんだと思うんですよ。僕なんかが足しちゃうところは、あえて引かれるんですよね。あるシーンで、座ってお栄を待っている引っ越しのシーンの時に、監督に「この場面、一点をずっと見つめて絵のこと、なんか土の感じとかそれを描いたりとか手を動かしたりとか、そういうふうにしてその間を待っていましょうか」って言った時に「いや、それはいらないです」っておっしゃったんですよね。「ただ待っていてください」と。そのただ待つっていうことが、この最初のカットでいいんだっていうのが、僕はちょっとこう、いわゆる画狂老人的な方にやっぱり振られていたんだなというのを何度も修正していただいて。でも、それはもしかして僕だったらそっちを取っちゃうかもしれない。そこの引き算が、やっぱり監督しか撮れなかっただろうなというふうに思いますね。だから人間・北斎、人間・応為を撮れたんだろうなっていうふうに…って、すごいしゃべっちゃいましたね。っていうか、これ、昨日、初日の舞台挨拶の最後の方に客席を見ながら浮かんでいたんですけど、僕にマイクが回ってこなかったんです(笑)。
それを言えずじまいだったのでね、この北斎さんの聖地の一つ、ここで言おうと、昨日帰りに車の中で思っていたんですよね。はい、失礼しました。
 
─すごく貴重なお話。ほんと監督だからこの映画が紡ぎ出されたと、納得がいった。
 
監督 そうですかね。皆さんもきっと父親とか、親との関係っていうのは、それぞれいろんなことがあると思うのでね。まあ、俺、ほとんど一緒に住んでいませんからね、親父と。だから、あんまり分からないっちゃあ分からないですね。
 
永瀬 でも、唐揚げの油を顔に塗らないですからね、親父は。やっぱり何か秀でている方なんですよ。うちの親父には絶対、マドンナは会いに来ないですからね。近くのおばちゃんとかは会いに来てくれるかもしれないですけど。だからやっぱり撮るべくして撮られた感があるし、そこに惹かれて書かれた本なんだろうなって。十年ぐらい前でしたっけ。
 
監督 もっと前なんですけどね。
 
永瀬 なんかそういう気がしましたね。昨日、壇上でそれを思ったんですけど。



Ⓒ2025「おーい、応為」製作委員会
Ⓒ2025「おーい、応為」製作委員会

 ここからは客席からの質問
 
─お栄が振られるシーン、その設定場所が、例えば隅田川だったりとかしたのでしょうか。
 
監督 あれは隅田川ですよ、本当に。隅田川です。ちょうど花火の川開きの日なので、隅田川の花火大会あったっていうふうに思って撮ったんですよ。
 
─長屋の撮影シーンでは干物が吊るされていたようですが、撮影中は永瀬さんもリアルを追求して臭かったのでしょうか。
 
永瀬 どうだったんでしょうね(苦笑)。ちょっとお姉ちゃんとかに聞いてみたかったですね。臭かったですかって聞いてみたかった。確かに気になりますね。善次郎とかにも聞いてみたかった気がしますけど。でも、そういうふうに(見ていて)思いましたですか、それぐらい。もう、大成功です。はい。細かいことですけど、爪もずっと伸ばしっぱなしで、最初は生活の汚れなんですけど、ある時から北斎ブルーと言われている藍に出会ってからは少しずつそれが、爪がブルーになっていくとか、メイクさんたちと相談しながら、特殊メイクさんもそうなんですけど、毎日研究されていらっしゃるんですよ。だから特殊メイクの時間が毎回伸びるんです。これを試してみたい、ちょっと粉を噴いている感じとか。当時はお風呂も全然入らないでしょうみたいなことで、皆さんが一生懸命やっていただいた甲斐があって、 そういう臭いが立つ北斎になれたのかなと思いますね。ありがとうございます。
 
─北斎がお栄さんに対して応為という名前を渡すシーン。応為という名前を渡す際に、北斎はどういう思いを込めたのでしょうか。史実に基づいたものではなくて、そのシーンを作るにあたって、どういう思いがあったのでしょうか。
 
監督 あのシーンの前に鉄蔵が応為の描いている絵をちょっと覗き込んだりしていて、もう応為のことを1人の画家として認めたっていうことを表す、そのお祝いのために八尾善っていう当時の高級な料理を買ってこいと言ったんじゃないかというふうに思って、あのシーンを撮っていました。だからあの2人の、ただ2人が座ってご飯食べているだけなんですけど、何て言うんだろうな、思い出すだけでもちょっとぐっとくるというか、2人の思いが見えてくるというか。優しさと、照れみたいなのと、積極的な、何かこれ見てっていう優しさではないものがこうあって、すごい好きなシーンの1つですね。
 
永瀬 僕、北斎さんって、あんまり画号を気にしない方というか、北斎っていうのを人にあげちゃったり、売っちゃったり、いろいろして、もう何回も変えられた。 そのうちに「応為」の「為」っていうのは、為一っていう自分の画号もあって、それを娘に譲るっていうことは何かちょっと意味があったのかなっていうふうに思いました。あとはやっぱり「応為」っていう、常に「おーい」っていう呼んでいる、その一番生きているところの一番根底みたいな。お栄ちゃんとか言わないから、ただ「おい」っていう。でも、そこに何か愛情あると僕は思っているんですよ。なので、それを引っ掛けて、一番大切な娘にあげたのかなというふうな気もします。僕はあの、ひっぺ返したら出てきたんだよと、お金ぴって渡すけど、あれ、隠れて描いたんじゃないかなと思って。 描いて、前に一生懸命売って、それを偶然見つけたんだよって言いながら、買ってこいって言ったんじゃないかな、なんて思ったりしながら。だから結構譲り合いしたりしていますよね。いつもそばとか団子しか食ってないのに、いきなり八尾膳のご飯が出てきたら、自然と僕と長澤さんと食べなさいって譲り合いをしたんですよね。 なんか愛情の一つじゃないですかね。応為っていう名前は。
 
─最後にひとことずつ、メッセージを。
 
監督 なんかストーリーがキレキレの話ではないんですけれどもね。でもこういう江戸時代の親子の生活を本当に覗いているようなカメラワークと音を、そういうふうに作って、そこに、ほんのりとした愛情と別れ、そして応為は最後、もう1回きっと生きていくんだろうなという思いを込めて作った映画ですので、派手ではないですけれど、皆さんの心にひっそりと残っていくような映画であるかなと思っています。ひっそりと皆さんのお友達にお伝えしていただいて、ひっそりとまたそのお友達が来てくれたらすごく嬉しいです。今日はありがとうございます。
 
永瀬 キレッキレの映画もいいですけど、キレッキレじゃない映画もいいのでね。なんかそういう淡々とした話っていうのは名作いっぱいありますし。 ただ、僕は監督より図々しいので、ご近所さんやSNSを通して、大きな声で「ぜひ、おーい、応為、いいよ」「劇場に見に行って」「見に行った方がいいよ」みたいな感じで言っていただけると嬉しいなと思います。 僕は北斎さんを演じさせていただいて本当に光栄でしたので、僕にとってとても大事な作品になりましたので、皆さんに育てていっていただければいいなと思います。そして再び今度は娘と一緒にここに呼んでいただけるように、なるように。ぜひよろしくお願いいたします。

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