【2001年】Jリーグ 柳沢 敦

柳沢(左)は長嶋さんに声をかけられ緊張気味 柳沢(左)は長嶋さんに声をかけられ緊張気味
 セリエA、ペルージャから正式オファーを受けていた日本代表FW柳沢敦(24)が11日、鹿島残留を決断した。2002年W杯を見据え、日本で万全のコンディション作りをすることが最善の策と判断した。柳沢はこの日、東京・港区の東京プリンスホテルで行われた本社制定「2001報知プロスポーツ大賞」の表彰式に出席。プロ野球・ヤクルトの古田敦也(36)ら各界のスーパースターとともに、賞金100万円、協賛の昭和シェル石油からガソリン1年分を贈られた。また、長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督(65)に読売新聞社と日本テレビ放送網から特別功労賞が贈られた。

 ◆経験より調整 悩み抜いた1か月 自らの意思

 夢だった海外移籍は自分の手にゆだねられていた。11月9日にペルージャから正式オファーが届いてから1か月。しかし、悩みに悩んだ末、柳沢が出した最終決断は残留だった。「来年もアントラーズでしっかりやっていきたいと思います」決意を固めた後の表情は晴ればれとしていた。

 最大の焦点は2002年W杯だった。イタリアに行けば、海外の経験を積める。技術的な成長も望める。だが、一方で日本代表合宿は来年1月末からびっしりと組まれており、海外にいては日程調整が厳しい。新しいチームで試合に出られる保証もない。W杯に向けたコンディション調整という意味では、鹿島に残ったほうが計算ができた。「(移籍は)今というタイミングではないと思いました」と残留の真意を説明した。

 この日、鹿島の鈴木満強化部長(44)と話し合い、自らの意思で最終決断を下した。7月にペルージャから正式のオファーを受けた際は、鹿島側が拒否。そして今回は柳沢の意思で移籍を見送った。報告を受けた牛島洋社長(58)は「ベストな選択だと思う」と率直な感想を話した。

 決して後ろ向きな選択ではない。むしろ、夢をつかむための前向きな決断だった。「W杯の後、いいオファーがあればチャレンジしたい」世界中が注目する大会に万全な態勢で臨み、海外挑戦の選択肢を増やす狙いがある。今回も後押ししていた鹿島側はもちろん、W杯後の移籍を容認。牛島社長は「いいオファーがあれば、送り出したい」と明言している。鹿島は来季の複数年契約を提示しているが、決して移籍を縛るものではない。

 オファーを受けてから、必死に語学勉強に打ち込むほどの努力家。ジーコ総監督も「柳沢は先を見て練習をしているから、日本でも上達できる」と話す。一生に一度の母国でのW杯はもうすぐ。6か月後に決断の答えは出る。

◆2001年プロスポーツ大賞受賞者

部門 受賞者 所属 年齢 受賞回数
野球(セ・リーグ) 古田 敦也 ヤクルト 36 4年ぶり3度目
野球(パ・リーグ) タフィ・ローズ 大阪近鉄 33
男子ゴルフ 丸山 茂樹 ソフトバンク 31 4年ぶり2度目
女子ゴルフ 天沼 知恵子 太平洋クラブ 26
大相撲 栃東 大裕 玉ノ井 25
ボクシング セレス小林 国際 28
Jリーグ 柳沢 敦 鹿島 24
特別功労賞 長嶋 茂雄 巨人軍終身名誉監督 65 -

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